新居千秋レクチャー
日時:2015年11月20日(金)18時30分~
会場:東京藝術大学上野キャンパス 総合工房棟4階 FM
新居千秋氏によるレクチャーを開催。武蔵工業大学での卒業設計に始まり、イエール大学やルイス・カーン事務所、ロンドンなど国外での豊富な経験、そして帰国後に事務所を設立してから現在に至るまでの作品が紹介された。
新居千秋(Chiaki Arai)
1948年生まれ。建築家、東京都市大学教授。1971年に武蔵工業大学工学部建築学科(現・東京都市大学)を卒業後、ペンシルバニア大学大学院芸術学部建築学科にて修士号を取得。ルイス・カーン建築事務所、ロンドン市テームズミード都市計画特別局を経て、1980年に新居千秋都市建築設計を設立。2008年より現職。
以下、学生によるレクチャーレポート。
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近年、日本では戦後に建設された公共施設が老朽化による更新時期を迎え、ランニングコスト削減を狙った複合化が進んでいる。また、コミュニティの希薄化や孤独死などが社会問題となる中で、公共施設は人と人をつなぎ、コミュニティを育てる場であることが一層求められるようになっており、建築家は、人々が集まる場としての公共施設についてその根本から考える必要に迫られている。こうした状況で、新居千秋氏は、ワークショップによる参加型デザインを行いながら日本各地に次々と複合施設を作り上げており、非常に注目すべき建築家だ。
レクチャーでは、まず、1971年の武蔵工業大学(現・東京都市大学)での卒業設計がスライドで紹介された。写真を媒介にユーザーと対話しながら設計を行うという内容で、タイトルは「ピクチュア・ランゲージ」。クリストファー・アレグザンダーから影響を受けながら制作されたものだ。すでに40年以上も前から新居氏はワークショップのようなことを考えていたことになり、その一貫性は驚きである。新居氏にとって他者との関わりの中で設計することは、現在の社会が抱える問題にリアクションした結果ではなく、学生時代から続く純粋な興味なのである。
続けて、大学卒業後に経験したバラエティに飛んだエピソードが時系列順に述べられていく。留学したペンシルバニア大学では、ルイス・カーンやアレグザンダーら多彩な講師から、クラフトから世界までスケールを横断しながら建築をデザインすることを学んだ。ロンドン滞在期には、レム・コールハースやザハ・ハディドら同年代の変わり者と交流し、時代と建築が大きく転換するムーブメントを経験した。
こうした多彩な経験を経た新居氏が、ワークショップの手法を実際にプロジェクトに取り入れた最初が「黒部市国際文化センターコラーレ」(1994年)である。ここでは、参加者のジェネレーションや性別のバランスを調節したり、文化に興味のある公務員に担当してもらって委員会の構成や議題を検討することで、ワークショップを「内発型」から多くの人を巻き込んでいく「外発型」へと転換する試みが行われた。その後のディベロッパーとの共同設計や横浜赤レンガ倉庫の仕事でも、建築を専門としない人たちとのやり取りを生産的かつ効率的にする方法を試行錯誤しており、プロジェクトの性格を問わず一貫して「人との関わり」を設計をすることを重視していることが分かる。
そして、新居氏が様々なプロジェクトで培った経験を整理することで確立されたのが、「デザイン・スクリプト」という考え方である。建築をデザインするのではなく、そのデザインを参加者で作り上げる「脚本」を作る、というものだ。それは建築の「創作」というよりも「編集」に近い作業であり、その目的はデザインに「偶然性」や「冗長性」を受け入れることにある。新居氏は「デザイン・スクリプト」をハリウッド映画の制作プロセスに例えていたが、私はゲームに近いものだと感じた。映画は自動的にストーリーが進み、参加者は一方的に情報を受け取るが、ゲームでは参加者が操作をして主体的にストーリーに参加するからだ。「デザイン・スクリプト」を通して、とくに「大船渡市民文化会館・市立図書館リアスホール」(2008年)以降のプロジェクトでは、参加者の意見を反映することで、建築の形態デザインは事前の予想を超える豊かさと複雑さを獲得している。
「デザイン・スクリプト」は、新居氏の師匠のカーンに倣えば「フォーム」と言うべきものだろう。デザインを多数の人々で作り上げていくための論理・筋書きである。そして、その「フォーム」から生み出された各プロジェクトの「シェイプ」に、私はいくつかの共通の特徴を感じた。
まず、ワークショップを経て建築プログラムが変更されると、それが空間構成や形態にダイレクトに反映し、非常にダイナミックな建築が生まれていること。「リアスホール」や「由利本荘市文化交流館カダーレ」(2011年)など、新居氏の近作は非常に自由度の高い形態が特徴だが、それは建築内部のプログラム一つ一つへの正直な応答に過ぎない。新居氏はこうして作られる自作の特徴を「Inconsistent Inconsistency(不均質な不均質)」とまとめている。
ただ、新居氏の建築は、「不均質な不均質」であるにも関わらず、「全体性」を確保していることが興味深い。私が所属する乾久美子研究室では、今年度、人々の集まる居場所を考えるために地方の様々な複合施設を調べたのだが、その中で良いと感じた施設には、部分や断片がただ寄せ集めただけではない複合的な全体性が見られた。バラバラなものをバラバラなまま組み上げても、デザインにはならない。不均質でありながら全体性を維持する新居氏の建築は、それゆえに独特であり、不思議な魅力がある。「リアスホール」は東日本大震災後には被災者の臨時住まいとして大いに活用されたという。奇抜と言える形態をしながらも人々に愛着や使いやすさをもたらし、実際に高い利用率を生んでいることはとても興味深い事実だ。
とはいえ、新居氏の建築にとって重要なのはあくまでも「フォーム」である。レクチャー中、カーンが残した2つの言葉を強調していたことが印象的であった。「物事の始まりについて考えてください。名前のある部屋や建物を疑いなさい」、そして「いま一度、名前があるものについて考えなさい」という言葉だ。合理性や経済性、効率を求めれば、「図書館」や「劇場」といった公共施設では諸室に用途名が明記され、利用者は型にはまった一定の振る舞いが許されるだけである。公共施設の復号化は、その凝り固まった型=「フォーム」の解体と再構成に他ならない。そのように根本的な部分からデザインを考え直すことが今、重要なのだと思う。
宮下巧大(建築専攻修士1年)
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日時:2015年11月20日(金)18時30分~
会場:東京藝術大学上野キャンパス 総合工房棟4階 FM
新居千秋氏によるレクチャーを開催。武蔵工業大学での卒業設計に始まり、イエール大学やルイス・カーン事務所、ロンドンなど国外での豊富な経験、そして帰国後に事務所を設立してから現在に至るまでの作品が紹介された。
新居千秋(Chiaki Arai)
1948年生まれ。建築家、東京都市大学教授。1971年に武蔵工業大学工学部建築学科(現・東京都市大学)を卒業後、ペンシルバニア大学大学院芸術学部建築学科にて修士号を取得。ルイス・カーン建築事務所、ロンドン市テームズミード都市計画特別局を経て、1980年に新居千秋都市建築設計を設立。2008年より現職。
以下、学生によるレクチャーレポート。
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近年、日本では戦後に建設された公共施設が老朽化による更新時期を迎え、ランニングコスト削減を狙った複合化が進んでいる。また、コミュニティの希薄化や孤独死などが社会問題となる中で、公共施設は人と人をつなぎ、コミュニティを育てる場であることが一層求められるようになっており、建築家は、人々が集まる場としての公共施設についてその根本から考える必要に迫られている。こうした状況で、新居千秋氏は、ワークショップによる参加型デザインを行いながら日本各地に次々と複合施設を作り上げており、非常に注目すべき建築家だ。
レクチャーでは、まず、1971年の武蔵工業大学(現・東京都市大学)での卒業設計がスライドで紹介された。写真を媒介にユーザーと対話しながら設計を行うという内容で、タイトルは「ピクチュア・ランゲージ」。クリストファー・アレグザンダーから影響を受けながら制作されたものだ。すでに40年以上も前から新居氏はワークショップのようなことを考えていたことになり、その一貫性は驚きである。新居氏にとって他者との関わりの中で設計することは、現在の社会が抱える問題にリアクションした結果ではなく、学生時代から続く純粋な興味なのである。
続けて、大学卒業後に経験したバラエティに飛んだエピソードが時系列順に述べられていく。留学したペンシルバニア大学では、ルイス・カーンやアレグザンダーら多彩な講師から、クラフトから世界までスケールを横断しながら建築をデザインすることを学んだ。ロンドン滞在期には、レム・コールハースやザハ・ハディドら同年代の変わり者と交流し、時代と建築が大きく転換するムーブメントを経験した。
こうした多彩な経験を経た新居氏が、ワークショップの手法を実際にプロジェクトに取り入れた最初が「黒部市国際文化センターコラーレ」(1994年)である。ここでは、参加者のジェネレーションや性別のバランスを調節したり、文化に興味のある公務員に担当してもらって委員会の構成や議題を検討することで、ワークショップを「内発型」から多くの人を巻き込んでいく「外発型」へと転換する試みが行われた。その後のディベロッパーとの共同設計や横浜赤レンガ倉庫の仕事でも、建築を専門としない人たちとのやり取りを生産的かつ効率的にする方法を試行錯誤しており、プロジェクトの性格を問わず一貫して「人との関わり」を設計をすることを重視していることが分かる。
そして、新居氏が様々なプロジェクトで培った経験を整理することで確立されたのが、「デザイン・スクリプト」という考え方である。建築をデザインするのではなく、そのデザインを参加者で作り上げる「脚本」を作る、というものだ。それは建築の「創作」というよりも「編集」に近い作業であり、その目的はデザインに「偶然性」や「冗長性」を受け入れることにある。新居氏は「デザイン・スクリプト」をハリウッド映画の制作プロセスに例えていたが、私はゲームに近いものだと感じた。映画は自動的にストーリーが進み、参加者は一方的に情報を受け取るが、ゲームでは参加者が操作をして主体的にストーリーに参加するからだ。「デザイン・スクリプト」を通して、とくに「大船渡市民文化会館・市立図書館リアスホール」(2008年)以降のプロジェクトでは、参加者の意見を反映することで、建築の形態デザインは事前の予想を超える豊かさと複雑さを獲得している。
「デザイン・スクリプト」は、新居氏の師匠のカーンに倣えば「フォーム」と言うべきものだろう。デザインを多数の人々で作り上げていくための論理・筋書きである。そして、その「フォーム」から生み出された各プロジェクトの「シェイプ」に、私はいくつかの共通の特徴を感じた。
まず、ワークショップを経て建築プログラムが変更されると、それが空間構成や形態にダイレクトに反映し、非常にダイナミックな建築が生まれていること。「リアスホール」や「由利本荘市文化交流館カダーレ」(2011年)など、新居氏の近作は非常に自由度の高い形態が特徴だが、それは建築内部のプログラム一つ一つへの正直な応答に過ぎない。新居氏はこうして作られる自作の特徴を「Inconsistent Inconsistency(不均質な不均質)」とまとめている。
ただ、新居氏の建築は、「不均質な不均質」であるにも関わらず、「全体性」を確保していることが興味深い。私が所属する乾久美子研究室では、今年度、人々の集まる居場所を考えるために地方の様々な複合施設を調べたのだが、その中で良いと感じた施設には、部分や断片がただ寄せ集めただけではない複合的な全体性が見られた。バラバラなものをバラバラなまま組み上げても、デザインにはならない。不均質でありながら全体性を維持する新居氏の建築は、それゆえに独特であり、不思議な魅力がある。「リアスホール」は東日本大震災後には被災者の臨時住まいとして大いに活用されたという。奇抜と言える形態をしながらも人々に愛着や使いやすさをもたらし、実際に高い利用率を生んでいることはとても興味深い事実だ。
とはいえ、新居氏の建築にとって重要なのはあくまでも「フォーム」である。レクチャー中、カーンが残した2つの言葉を強調していたことが印象的であった。「物事の始まりについて考えてください。名前のある部屋や建物を疑いなさい」、そして「いま一度、名前があるものについて考えなさい」という言葉だ。合理性や経済性、効率を求めれば、「図書館」や「劇場」といった公共施設では諸室に用途名が明記され、利用者は型にはまった一定の振る舞いが許されるだけである。公共施設の復号化は、その凝り固まった型=「フォーム」の解体と再構成に他ならない。そのように根本的な部分からデザインを考え直すことが今、重要なのだと思う。
宮下巧大(建築専攻修士1年)
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