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Channel: 東京藝術大学美術学部建築科|大学院美術研究科建築専攻 Tokyo University of the Arts Faculty of Fine Arts / Graduate School of Fine Arts Department of Architecture
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Lecture |伊東豊雄 客員教授特別講義

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東京藝術大学美術学部建築科 客員教授特別講義
伊東豊雄「清々しい建築を求めて」
日時:2016年1月8日(金)18時30分~20時30分
会場:東京藝術大学上野キャンパス美術学部総合工房棟4階 FM教室

伊東豊雄(Toyo ITO)
1941年生まれ。建築家。1965年東京大学工学部建築学科卒業。1971年アーバンロボット設立(のちに伊東豊雄建築設計事務所に改称)。2011年に私塾「伊東建築塾」設立。2013年〜東京藝術大学美術学部建築科客員教授。
おもな作品に「せんだいメディアテーク」(2000年)、「多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)」(2007年)、「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」(2011年)など。
日本建築学会賞作品賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、プリツカー賞など受賞多数。



以下、学生によるレクチャーレポート。
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2020年の東京オリンピックに向けた新国立競技場の建設問題は建築関係者だけでなく世間から広く関心を集めている。その祝祭性やシンボル性ゆえに、設計者や設計内容、コンペのプロセスや総工費については日々メディアで取沙汰されている。実際に誰が何をつくるかということにくわえて、このような大規模なプロジェクトでは、その過程自体が、我々建築をつくる者として建築がどうあるべきかを考え、議論する契機でもある。客員教授である伊東豊雄氏は、まさにその過程において、建築家として多くの提案をしてきた。

レクチャーは神宮外苑の場所性と歴史の話から始まった。1924年に建設された外苑競技場、その取り壊しを経て、建設庁の営繕課長であった角田栄が取りまとめた旧国立競技場の建設があったが、このときの競技場は周囲の森より高さが抑えられ、絵画館との関係も配慮されていたという。伊東氏が当初から主張してきた「周囲の森との関係性」についての歴史である。

話は今回の新国立競技場へと移る。2012年7月に公布された最初のコンペは、規模約29万㎡、総工費1300億円程度、8万人を収容しあらゆるイベントに対応できる開閉式の屋根を備えた高性能なスタジアムを2ヶ月程度の期間で設計するという主旨であった。伊東氏がここでつくったのは、最外部のテンション材によるダブルスキンのような空間である。各条件を満たすならばこれしかあり得ない、というところまで練った案であり、2015年の仕切り直しのコンペで伊東氏が出した案の原形とも言えるものだ。複雑な条件を満たすだけでなく、周囲の環境への呼応、自然エネルギーの活用も含めて細やかに設計されている。

最初のコンペで最優秀となったのは、よく知られているとおり、ザハ・ハディドによる提案である。レクチャーではこのザハ案と伊東案の比較もされた。複雑な諸条件を満たすことが第一であるから配置や平面については両者の違いはさほどない、と伊東氏は語る。その後、ザハ案の巨大さや3000億という巨額の総工費が批判的に注目されるようになったあとには、伊東氏は、旧国立競技場を建て替えることなく、保存改修で済ますことでコストと工期を縮小化する提案もおこなった。オリンピック企画委員等の諸氏へ訴えの手紙も書いたというがこの提案は反映されることはなく、結局、ザハ案も「白紙撤回」となった。

「白紙撤回」後、すぐに伊東氏はスタディを再開したという。構造では佐々木睦朗氏と恊働し、前案を引き継いで、外周に向かってキャンチレバーとなる構造とし、バックスパンを外周の柱で抑え、全体を5つに分解してシェル構造とした。ランドスケープは石川幹子氏と組み、ザハ案では外苑西通りに残っていた人工地盤をなくし、地下水をくみあげてせせらぎを作ることで渋谷川を復活させる。中沢新一氏の「神宮内苑は深い森であり、外苑は外に向かって開いて行く」という考え方がコンセプトへとつながった。

「木を多く使う」という新しく設定された要項に対応するため、外周の巨大柱は木となっているが、これがこの新案の一番の勘所であったのではないだろうか。もともと外周の柱の存在をなるべく消して、スタジアムが浮かび上がるように見せるところを、柱を木でつくりネガポジを反転させ、寺社の御柱のように並べてみせた。さらに本来は構造的にもっとも重要な部材でチャレンジングなことをするために、竹中工務店が特許を取得した集成材(「燃えんウッド」)を使用建材として想定している。ゼネコンの持つ技術と、アーキテクトのアイデアが高次元で融合したことは、新国立競技場のようなビッグプロジェクトの可能性を最大化していると言えるだろう。これは伊東氏が言うところの現代の「新しい伝統」を象徴している。「伝統」や「日本らしさ」は、この仕切り直しのコンペで要求された基本理念だ。

「新しい伝統」について伊東氏はこう言った。資本主義社会の進行と近代主義の建築は強くむすびついており、建築は経済の道具となり、都市は均質な人工環境の建築になってしまった。世界はどこも同じような建築で埋まっている。それらはザハやゲーリーの建築のような歴史や地域性と関係のない、均質主義、表層主義の建築である。国立競技場はグローバリズムという経済に覆われた東京のど真ん中にありながら、神宮外苑という歴史的環境とも対峙する、そういった状況をはらんだ課題であった。「新しい伝統」は、ここが継承してきた場所性、地域性、歴史性に応えようと試みる、グローバリズムの時代への呼びかけである。

伊東氏のレクチャーを聴きながら、以下のようなキーワードが考えられると思った。

*建築家の棲み分け
日本の建築家のうち、国立競技場のようなビッグプロジェクトを担うことができるのは、ほんの数人だろう。『JA96』(新建築社)の座談会「クラス化される建築——建築設計と意思決定の現在形」(山梨知彦・伊藤暁・青井哲人)では、商店建築、会場構成系など小規模な建築、集合住宅などの建築家層、地方公共施設の仕事をする建築家層、国立競技場レベルの国家的建築を扱うスターアーキテクトが棲み分けられつつある状況が指摘されている。新国立競技場問題はまさにそのような状況を反映しているのではないかと思う。

*コンテクストと「らしさ」
「競技場の周辺環境への配慮」や「土地のコンテクストを読む」ということと、「伝統や日本らしさの発信」は、似ているようでまったく逆の方向を向いている。前者は住民参加的であり、アイレベルであり、地方公共施設的である。後者は演出的であり、俯瞰的であり、国家的建築だ。この違う話である「神宮外苑を読むこと」と「日本らしさの演出」を伊東氏がひとつのストーリーにして語ってみせたことに面白さがある。「地方公共施設的なもの」は、コンテクスト、住民参加や対話が重要だが、これは外に向けて発信するためのものとは異なる。周辺住民全体が施主であるようなものだ。一方、国の威信をかけて世界に発信する競技場は、メディアと強くむすびつく。フォトジェニックな建築であることが重要だ。

*地方公共建築と国家的建築のハイブリッド
私の所属するヨコミゾ研究室でも、東日本大震災での被災地域の施設を設計しているが、複数の住民の意見を誠実に汲み取ろうとする一方で、竣工写真を撮るならどこから撮るだろうか、この建築の(これまでの建築の歴史にとっての)意義はなんだろうか、ということも考えている。設計者には複数の視点が常に存在すると感じる。

伊東氏は国立競技場という国家的建築の設計のなかで、アイレベルのデザインにとても誠実と言えるような態度で向き合っていた。外苑西通りの人工地盤など、公布された条件で問題と思われる点については、積極的に指摘している。国家的建築も、祝祭が終われば地方公共施設として愛され続けなければならないからだ。オリンピック後の都市がおもな仕事場になる我々の世代が考えるべき課題を多く与えていただいたように思う。

添田いづみ(建築専攻修士1年)
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